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カテゴリ:17CAR&ライフ 私的名車グラフティ

8 *シビック RS*

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 現在はスバリストであるわしだが若い頃はホンダ党であった。その後マツダ派になってスバリストになった。こうしてみるとトヨタ、日産は全然買ってないな。レンタカーではトヨタを使っていたが・・

 とにかく当時のホンダはいつも斬新な車を出してきて車好きにはたまらないメーカーだった。もともと二輪車メーカーであったホンダが本格的に4輪車に進出したのは65年2月にデビューした本格2シーターオープンの「S600」であった。これも類まれな名車だ。そして次にデビューしたのが67年の軽自動車、「N360」である。これも当時の軽自動車界にあって飛びぬけて高性能の車であった。まさにバイク屋ホンダの面目躍如である。
 しかし、ホンダの4輪車メーカーとしての地位を不動のものにしたエポックメイキングな車はやはり72年デビューの「シビック」ではなかろうか。一部のシビックに積まれたCVCC(複合渦流)エンジンは当時のアメリカの排ガス規制(マスキー法)を触媒を使わず世界で初めてクリアしたもので結果、大人気を博した。当時インテリを自称する人たちはこぞってシビックを絶賛し、トヨタでさえCVCCのパテントを買ったぐらいである。もちろんコンパクトな車体の割りにFFの利点を最大限生かしたその居住性の広さもその人気の原因の一つであった。
 わしも大学の頃友達がこのシビックを持っていてそれに何回か乗せてもらった。それも74年にデビューし、わずか10ヶ月しか生産されなかったRS(ロードセーリングの略)と言うスポーツモデルである。標準仕様が60〜69馬力であるのに対し、ツインキャブを搭載し76馬力を発してロードセーリングと言うグレード名が示すように高速巡行型の車であった。75年には日本の排ガス規制に合わせてシビック全車がCVCCエンジンを積み、このモデルはカタログ落ちした。
 わしは友達とこのRSで東京まで高速道路で何時間で行けるかを試してみた。結果は事故渋滞に巻き込まれたり、東名の由比ガ浜あたりでたまたま日本に接近してきた台風による暴風雨で進めなくなり、10時間以上かかってしまったが・・ とにかく乗っていてとても楽しい車だった。このオレンジ色がこのRSにはぴったりだったんだよな〜。

 マメ知識:CVCCは通常の燃焼室のほかに小さな副燃焼室を持ち、この副燃焼室に濃い混合気を吹き込みここで点火、その火で主燃焼室の薄い混合気を燃やすと言うコロンブスの卵的発想のエンジンであった。

7 *バモス ホンダ*

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 はじめて見た時にはあっけに取られた車である。ホンダは時々とんでもない車を造るがこのバモスはその典型であろう。後にも先にもこんなへんてこりんな車は国産車史上無いと思う。
 当時中学生だったわしは道路に停まっているこのバモスを見た時1/1の作りかけのプラモデルかと思った。だって屋根も無ければドアも無いのだから。およそ車の常識的な姿とかけ離れたワイルド極まりない姿に開いた口が塞がらなかった。ベースとなった車は軽トラックであるTN360。360ccのDOHCエンジンをミッドシップに積んだこれまたとんでもない軽トラックである。
 それにしてもよくこんな車を当時の運輸省が許可したもんだと思う。なかなかのグッジョブだけどね。何年か前「バモス」が復活すると聞いた時てっきりこのスタイルで出てくると思ったが単なる軽のミニバンでがっかりした事がある。今でもこのデザインを復活させたら絶対売れると思うんだが。
 最近のホンダにはこういう熱気が感じられる車が少ないのがちょいと悲しい。

6 *スターレット*

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 もともとパブリカの上級モデル「パブリカ・スターレット」であったものが78年にスターレットに一本化された。駆動方式はこのクラスの車が続々FF化される中、先代からのFRを引き継いでいた。そのためレビン・トレノよりも安くて使いやすい車として、またレースやラリーのチューニングカーとしても若者に人気があった。
 わしも学生時代は一番レンタル料の安いレンタカーとしてバンバン借りまくっていた。FR特有の素直な操縦性とまさしく教科書どおりの車の挙動は運転の基本的な練習にぴったしであった。こいつのおかげで運転のイロハを覚えたものである。偉大な大衆車。

5 *スカイライン*

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 スカイラインが昨年年末モデルチェンジした。型式名はVQであり、スカイラインとは名ばかりの車である。要するにアメリカ向けのインフィニティに販売政策上国内用に「スカイライン」のバッヂをつけただけの車だ。こんなのはスカイラインではない。誤解しないで欲しいがVQ35自体は車としては出来のいい車である。ただスカイラインの名をつけるべき車ではないということだ。

 スカイラインは日本車としては珍しく伝説、神話を持つ歴史ある車である。その伝説・神話の元になったのが3代目、「愛のスカイライン」の「ハコスカGT−R」である。その最大の特徴はエンジンであった。レーシングカー”ニッサンR380”のGR8型エンジンをディチューンした4バルブ直列6気筒のS20型エンジンだ。未だに人気を誇る名車であるがわしにとってのスカイラインはむしろ「ケンメリ」の4代目である。
 特にそのスタイルが好きだった。特徴あるリアフェンダーのサーフィンラインをいかしたあの流麗なリアビューに惚れこんだものだ。それにあのテレビコマーシャルが良かった。コマーシャルに使われた北海道美瑛のあのポプラの木は今でも「ケンとメリーの木」として観光名所になっている。しかしケンメリGT−Rは排ガス規制という時代の流れに対応できずわずか197台の生産で打ち切られた。
 その後5代目「ジャパン」はふるわず、6代目「ポールニューマン」がマイナーチェンジで「鉄仮面」になって少し持ち直すが7代目「7th」でまたぽしゃり、89年の8代目のR32のGT−Rで完全復活するまで長い低迷の時代を過ごすことになった。
 R32はレースで勝つことを目的に当時の日産の持てる最新技術を総動員した車であり、その登場は他のメーカーにも大きな影響を与えた。その後R33、R34とその系譜は続くがR34で直列6気筒のスカイラインの伝統は終わるのである。その後のスカイラインはV6エンジンを積んだインフィニティのバッヂを貼り替えただけの車と成り果てる。

 スカイラインのコンセプトはあくまで直6の小型スポーツセダンであり、V6大型ラグジュアリーセダンではないのだ。VQ35はスカイラインの名を名乗りたければせめて「スカイライン・マーク�」とすべきである。

4 *スバルR2*

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 前回、トヨタ2000GTだったので順当にいけば日産フェアレディかスカイライン2000GT−Rというところなんだがこれはわしの極めて個人的な名車グラフティなので今回はスバルR2である。

 スバルR2はスバル360の後継車として1969年に発売された。グリルレスのフロントマスクに丸目ライト、ラウンドシェイプのリアスタイルと個性的なイタリアンミニ風で今から見てもけっこうお洒落である。リアエンジン・リア駆動に4輪独立懸架で性能的には当時の軽自動車の中ではトップレベルであった。

 なんでこの車を出したかというとわしのある思い出があるからだ。20年ほど前に和歌山の白浜に旅行したとき赤いR2に乗った若いカップルに出会った。男性の方はダークグレーのスーツ姿に女性の方は純白のスーツ姿であった。その雰囲気はどう見ても普通のドライブ姿ではなかった。そう、新婚旅行の姿だ。当時でも新婚旅行なんてみんなハワイやオーストラリア等の海外に行くのが普通だった。どう考えても国内でしかも白浜なんてベタである。しかも当時ですら古〜い軽自動車である。高度成長時代の昭和か? でも妙にこの二人は雰囲気が良かった。白浜の翌日には潮岬でまたこの二人に出会った。小さい車に若い男女が肩を寄せ合って乗って走り去っていく姿は映画の一シーンのようでかっこよかったな〜。

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