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2006年07月

プロローグ

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 今年はカローラデビュー 40周年[E:sign01]

 06年6月、国内販売が前年比1.5%ダウンだそうだ。軽自動車が9.1%伸びたものの小型&普通車は6.5%落ち込んで総台数ではマイナスだ。トヨタがGMを抜いて世界一になるのを目の前にしてなんとも景気の悪い話だが国内の自動車市場は今後も縮小が続くだろう。まともに売れてる車は低コストの低価格車ばかりだ。止まらない少子化、自動車の嗜好品・日常品化と国内市場を取り巻く環境は悪化するばかり。各メーカーも儲からない国内市場よりも儲かる海外市場のほうが重要になってきている。もはや自動車からはかつての熱気を感じない。
 
 40年前に満を持して登場した初代「カローラ」。そこにはこれから日本のモータリぜーションを引っ張って行くんだ!! というメーカーの熱気があり、日本社会全体にこれから暮らしを良くていくんだ!! という活気があった。
 わしが小学生の頃近所のおっちゃんがカローラを買ってその家の人だけでなく近所中が大騒ぎをしていた。そのカローラに初めて乗せてもらってドライブに行った時の興奮・・ 今でも鮮明に覚えている。三丁目の夕日の世界だな・・[E:smile]

 これからはわしなりの「日本名車グラフティ」をここで連載していこうと思う。決して活気を失った日本自動車産業界への鎮魂歌ではない・・

片手落ちの少子化対策

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 産婦人科が激減している。さらに小児科も減少傾向だ。 国の対策はどうやったら子供を産む数を増やすか、出生率を上げるかという技術論に終始しているが一番基本的な「安心して子供を産める・育てられる」ための基盤・体制が壊れ始めているのが日本の現状だ。

  京都新聞7月19日記事より抜粋

 今年4月に島根県隠岐島の隠岐病院では産婦人科が閉鎖された。最後まで頑張っていた医師が事情があって退職したためだ。隠岐の島々には約23,000人が住んでいて年間約130件の出産があるが今後は妊婦は本土の総合病院まで行かねばならない羽目になった。本土まではフェリーで二時間半、出雲までの航空便は一日一便、ほとんど満席状態である。妊婦は一ヶ月前から本土に渡り、宿泊先で待機する必要がある。経済的にも精神的にも負担は大きい。
 産婦人科医の減少が加速している。高齢出産などによる異常分娩や障碍児出産の増加の中で、産婦人科医が医療ミスで提訴される例が全診療科の中で一番多いため若い医師が産婦人科になりたがらないのだ。特に去年の福島県での帝王切開のミスを問われた医師が逮捕、起訴された事件が研修医や医学生に衝撃を与えた。毎年4月に全国の大学病院の産婦人科に入局する新人医師は3年前の300人前後から今年は230人に減った。
 産婦人科医が過労に陥らず安定した診療を行うには一病院に常勤医は二人以上必要だが昨年7月現在で平均1.74人。一人だけの施設が多い。しかも全国の産婦人科医の四分の一が60歳以上。10年後を考えると慄然とする。隠岐の病院の件は隠岐町長らが奔走した結果、今年11月から県立病院から隠岐病院へ常勤体制で二人派遣されることに決まった。
 以上抜粋終わり。

 まぁ。隠岐の人たちはひとまずほっとしたことだろうが事は隠岐だけの問題ではない。日本全国に共通する問題である。小児科も実は似たり寄ったりの状況だ。国の少子化対策からはこの問題点についての視点がすっぽり抜け落ちてるんじゃないか? 補助金出すとか保育所増やすとか言っても安心して産み、育てる医療基盤が無ければせっかく女性が妊娠してもみんな死産・流産、子供の病死が相次いで結局少子化が進行するじゃないか。出生率を上げるだけでは意味がない。出生率を上げるのも確かに大事だが産婦人科・小児科の確保の方が喫緊の課題だ。

 以前知り合いの産婦人科にある話を聞いたことがあるのだがそれはもう惨憺たる話であった。それはこの話とまた絡めて改めて後日書きたい。 結構重い話ではある・・ 

平安土地ころがし

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Muhnvwef  今昔物語より 
 いつの世でもワル知恵の働く者はいるのである。時は九世紀中頃、八条大路と西京極大路に囲まれた場所。現在のJR西大路駅近辺はまだ一面畑だらけであった。その畑だらけの中に一軒家が建っていた。にわか雨に降られた一人の男がその家に雨宿りに駆け込んだ。その男の名は「上緒主(あげおのぬし)」、本名ではなくニックネームである。位は「兵衛佐(ひょうえのすけ)」で都城警備を職とした六位程度の公務員だ。
 この男、家の土間で腰をかけた石を所在無げに手にした小石でたたいていたがたたかれた石は随分軟らかく窪んだところが鈍い白色に光っている。「銀」である。気がついた上緒主は家の一人住まいの老婆にそ知らぬ顔でこの家の建っている土地について尋ねた。老婆が言うにはもともと長者の屋敷跡でこの石は蔵の跡から出てきたという。どけようと思うが老婆の力ではどうにもならない。そこで上緒主は親切顔でこの石を運び出してあげようと言った。

 かくしてまんまと銀塊を騙し取った上緒主はこれを元手に財テクを考える。そこで目をつけたのが「土地」。当時平安京の土地造成は遅々として進まず、828年時点で予定区画の約半分、25万坪ほどしか進んでいなかった。都の中央を南北に走る朱雀大路から東半分は開発が進み、二条近辺は高級住宅地となっていたが西半分のさらに四条から南半分は湿地帯のため造成がほとんど止まっていた。そこで当時の政府は2年以内に開墾して畑にするなら永久に私有を認めるとしていた。
 上緒主はこのあたりの出物の土地を物色したのである。そして天皇の別荘も近くにあり、官庁街も目と鼻の先の朱雀大路と四条通の交差する辺りにタダ同然の土地を見つけた。それは歩けば足がズブズブ沈むような湿地帯、一町(4,360坪)であった。
 この土地を捨て値で買った上緒主はさっそく土地造成にかかったがまともな造成では金がかかる。そこで難波の海岸から刈り取ってきた葦を土地の上に敷き、その上に土を被せた。それもそこらへんを歩いてる人をアルバイトに雇ってさせたのである。賃金は飯と酒でごまかした。ただ歩いてる人たちもちょこっと手伝うだけで飯と酒がもらえるんで喜んでやる。
 そして見かけは立派な土地にモデルハウスを建てたのだ。しかも法律の抜け道もしっかり考えてある。普通開墾して畑になる土地に家を建てるのは法律違反なのだがこの土地は法律適用外の「湿地帯」なのだ。だから家を建てても違反にはならない。まっこと今日の悪徳不動産屋の元祖みたいな男である。[E:shock]
 そして買い手はすぐついた。この造成地のすぐ南に住む大納言、「源 定」。父は嵯峨天皇、母は莫大な財力を持つ百済亡命貴族の子孫。超飛び切りの上客である。かくしてタダ同然で手に入れた土地は現在の価格にして一億五千万円で売れたのである。 いくら世間知らずのお公家様とは言え・・ うう〜・・む。[E:shock]

 参考文献:「日本サラリーマン事情」PHP研究所

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