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2006年01月

ブログの可能性ってなんだ?

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Uk_nwwcv
 個人のブログが去年の8月末時点で概算で約400万存在し、今春にはその倍近くにもなるそうだ。本当にすごい勢いで増えている。
 結局何が原因でこんなに増えてるんだろう? 理由はいろいろあるだろうが言ってみれば極めて自由度の高いホームページゆえであろうか・・ 人によって書く理由はいろいろだろうがとにかくブログを書いている人に共通して言えることは「何でもいいから他人に伝えたい、知って欲しい」という欲求があるということだ。
 以前わしは「インターネットの幻」というエントリーで「これを自己顕示欲の発露だ」と言ったことがある。さらに「ぶっちゃけ、インターネット上には何百万という個人のHPやブログがあるがよほどの有名人でもなければくそ面白くもない素人のHPや日記なんか誰が見に来るものか。」ということを書いたが実は最近少し考えを変えた。

 すなわち極めて個人的日記のブログこそ大きな価値があるのではなかろうか? 無名の一市民のなんの変哲も無い日常生活の淡々とした記述。ここにのちのちの歴史的価値があるように思う。例えば今夜この瞬間東京を大震災が襲い、同時に富士山が噴火、さらに北朝鮮から核を積んだテポドンが飛んできて東京に着弾、壊滅したとして「今夜の食事はキムチ鍋でーす[E:smile]」とか「今日伊豆の温泉に行って来ましたがなぜか以前行った時より温泉が熱くてゆだっちゃいました。でも湯上り後に食べたカニ鍋がもう最高〜。」「今日はうちの犬が一日中うるさく吠えてばかりいました。餌をもっとくれといってたのかな。」「今朝、ごみの回収をしていたらいつもうるさいカラスの姿が見えずとても楽でした。毎日こうだとありがたいんだが・・」とかいうなんの変哲も無いエントリーも後の歴史家から見ると極めて貴重な資料になるのではないだろうか。
 まさに歴史的大事件の瞬間に一般市民はどう考え、どんな生活をしていたのか、またどんな社会状況、自然状況があったのか知るのにこれほど貴重なものはなかろう。へたな政治談議や討論なんかよりよほど凄い事だ。なんせ何百万という市民が歴史を記録するのだから。[E:smile]
 もちろん何百年後、何千年後にもサーバーに記録されたデーターが無事で、それを読み出すことが可能であればという条件があるが。

 まったく無名の一市民がへたな有識者やエリートなどと同等に情報発信の手段を持ったということが人類史上画期的なことやも知れん。[E:pc]
 

次期主力戦闘車 選び プロローグ

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Vpjkyeix
 我が家の愛車が壊れた!!
 ある日愛車で買い物に行く途中に愛車が壊れてしまった。交差点に差し掛かり、左折のためにスピードを落としつつステアリングを左に切っていたら途中でガツンと抵抗を感じ、それ以上ステアリングが切れなくなったのだ。百戦錬磨のわしもさすがに慌てた。まだ車は完全に左に曲がっていない状態で目の前には対向車がいる。このままでは相手の側面に衝突してしまう! そこでわしはヒール&トゥを繰り出し、力任せにステアリングをこじり左前輪を側溝に落としこみ、拓海の必殺技「溝落とし」で強引に愛車のノーズを左に向け、危機一髪で衝突を免れたのだ。その間コンマ何秒という離れ業であった。毎日「頭文字 D」のマンガを読んで腕を磨いたかいがあると言うものだ。[E:smile]

 その後、車をだましだまし運転してディーラーに持って行って見てもらったらやはり想像通りパワステポンプの故障であった。ポンプの故障で油圧が一気に抜けステアリングのアシストが効かなくなったのだ。それにしても今の車のノンパワステ状態ってなんとステアリングの重いことか。昔、ノンパワステの車にも乗っていたが停車状態では確かに重かったものの少しでも動いていればそれほど重くは無かった。なのにインプレッサは4駆のせいもあるかもしれんが異常な重さだ。大の男がウンウン唸って力任せにステアリングを切らないと曲がらない・・[E:shock] 今の車はパワステは必須なのか。

 結局修理はポンプ自体のアッセンブリー交換で7万2千円、部品を取り寄せてのオーバーホールなら3万6千円と言われてしまった。ガーン [E:coldsweats02] とんだ出費だ。やはり10年も乗ると壊れだすな。誰かが言ってた「タイマー」ってやつか? さすがに運転の根幹にかかわる部分の故障、しかも運転中の故障は少々やばい。これがワインディングをスピード出して走っている時だったら完全に側壁にぶつかるか崖下に落ちる事故となっていたであろう。

 かくしてわしの頭には買い替えという言葉が浮かび始めていた。

  続く・・  続くのか?<笑>

京都魔界案内 13

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B73vnq4l 北野天満宮

Ccuimuz7 菅公 安倍童子 キャララフ画


北野天満宮

 北野天満宮は「天神様」とも言い、菅公(菅原道真)の祟りを鎮める為に959年に造営された。都の人々にとっては菅公の祟りはそれは恐ろしいものであった。道真は藤原時平の陰謀で大宰府に流され、903年にその地で没した。その後怨霊となった道真は平安京に襲いかかる。清涼殿には二回も落雷があり、時平本人や二人の皇子、更には道真左遷にかかわった者たちが死んだり大怪我をした。そして醍醐天皇までが病に臥し亡くなるという異常事態が発生した。
 特に930年は異変が多く疫病・洪水が多発した。都の人々は道真の祟りを噂したが942年、それが「託宣」(神のお告げ)として公になった。京のはずれに住む多治比文子(たじひのあやこ)という巫女に道真の霊が宿って自分を北野の地に祀れ、という宣託を下したのだ。この宣託に導かれ貴族達が天満宮を造営したのである。だから北野天満宮の境内には文子天満宮というのがある。

 もともと天神様とは農耕の神である。農民にとっては作物の豊凶を左右する水を支配する雷神・龍神であった。当時この北野の地には北山や西山、特に愛宕山で発生した雷雲がたびたび雷を落としていたのである。そこでこの地にはもともとそれを祀った「地主神社」「火之御子社」が鎮座していた。特に「火之御子社」はホノイカズチ、そのもののずばりの「雷様」を祀っていた。今もこの二社は北野天満宮の境内の中にあるが道真公の怨霊にM&Aで乗っ取られてしまったのである。[E:smile]

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 8日付の日経新聞に「平安京誕生の陰に温暖化」という記事が載っていた。これによると平安遷都は温暖化による多発した洪水の被害を避けるため行われたもので、道真が亡くなった903年前後から40〜50年間に逆に約3度気温が下がる寒冷化があった。そのため乾燥化が進み干ばつによる凶作が続いたそうだ。このことも道真の祟りと結び付けられたそうな。なるほどな、何事も科学的に理屈が付けられるものである。

 さてさて一方「晴明! なにやってんの」の我が晴明公と怨霊道真の対決は本編ではいかようになるであろうか・・[E:smile]

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