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2005年02月

生駒最速伝説 1

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Imikcgrl
短期集中連載
 5〜6年前にWEB公開用に描いたイニシャルDパクリ企画のマンガです。[E:smile] ストーリーらしきものは何もありません。うーん・・ はっきり言って下手です。車の絵を描くのは苦手だな〜

平安京の実像 5

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 平安時代の女性ファッション

 平安時代の貴族の日記や文学には圧倒的にフアッションに関する記述が多い。実はそれは単に貴族達の美意識によるものだけではなく、服装は何よりその人の身分を直接的に示す標識であったからである。また身分は同じでも状況によって細かな決まりがあったので、服装への関心は美意識と言うよりそのシチュエーションによってどの官職の人がどのような服装をすべきかにあったのだ。
 では貴族女性の公式行事の場や宮中の勤務先での正装はどんなものだったか? それが下のイラストの「唐衣裳装束(からぎぬもしょうぞく)」であった。日常の衣服は紅の「袴」と薄地の「単」をベースにその上に「袿」を重ねたもので「袿姿」と言った。そして正装は「唐衣」と「裳」を付ける。この服装の主は「袿」でこれを数枚重ね、一番下に「単」を着た。十二単の名称はここから来たのである。十二とは単に十二枚ということではなく「多い」と言う意味なのだ。ちなみに一番下の単は肌が透けて見えるほどの薄着であった。
 「唐衣」は豪華な衣服で上半身のみのもので袖も短い。また「裳」はもともと腰に巻いたスカートのようなものでそれが後ろだけになって丈が伸びたものとされる。それに装飾用の「引腰」の他に小腰と言う紐が付き前に回して「袿」の上から結んだ。
 院政期の藤原頼長の日記『台記』にも「およそ主上渡りたまう時、女房必ず唐衣を着す。裳にいたりては主おはしまさざる時といへども、之を脱ぐを得ず。」とあり「唐衣」と「裳」をつけることが正式の服装であったことがわかる。
 
  
引用文献 「平安京 くらしと風景」 東京堂出版

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