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101113_01  さて勢いに任せて連載を始めた昭和の残照シリーズだがもうン十年前ものことなので記憶が・・(笑)

 鮮明に覚えていることもあればかなりあいまいになっている部分もある。そこはご了承願いたい。なるべく当時の記憶をたどっていくけど。 

 住んでいたのは堺市浅香山。当時の家の周りの様子はだいたいこんな感じ。中学生くらいになると自転車なんかでもっと行動範囲は広がるが小学生が遊び歩くのはこれぐらいの範囲だった。片道歩いて10分くらいだろうか。ほとんど家の近所の原っぱや空き地、田んぼで遊んでいたように思う。

 それにしてもすぐ近所に刑務所があったり、火葬場、無縁仏の墓(ピラミッドのように墓石が積み重なっていた)、精神病院があったりとなかなか刺激的な環境である。(笑) 駅の近くの雑木林では首吊りもあったし・・(--) 

 ベランダからは刑務所越しに堺臨界コンビナートの大きな煙突が乱立するのが見え、昼間は煤煙がモウモウ。夜は煙突の先端から夜空を煌々と照らすように炎が燃え上がり幻想的?でもあった。

101113_02 鉄筋コンクリート4階建ての 社宅の間取りは6畳ニ間にダイニングキッチン。ここに両親と弟と家族4人で暮らした。とても広いとは言いがたいが子どもが小さいうちはこれでも余裕のある広さだったのかもしれない。

 内風呂は小学4、5年くらいになるまで無く近所の銭湯に通った。会社が洗濯場を改装して内風呂が出来たときはすごく嬉しかったな~。でもトイレだけは当時一般の家は汲み取り式が主流だったのに対して水洗であったのが自慢だった。(笑) あと近代的な?設備としては台所の流し台の横に備え付けられたダストシュート。ゴミは袋に入れここからポンと捨ててそのまま一階のゴミ箱に落とす。わざわざゴミを下まで持って降りなくてすむので非常に便利だった。洗濯物を干すのは5階の屋上。ここもかっこうの遊び場だった。