カテゴリ:
Runnfwdq  日本初の貨幣は和同開珎と言われていたがさらにそれより古くに富本銭なるものが発行されていたと言う。日本で貨幣経済らしき姿が現れるのは和同開珎が発行された和銅2年(709年)の頃のようだ。ただその頃も貨幣の代わりをしていたのが米や布であってむしろまだそちらの方が主流であった。ではなぜまだ貨幣経済が発達しもしないのに富本銭なるなるものが作られたのか?
 それはひとえに当時の先進国、中国への懸命なるキャッチアップを狙ったものと解されている。当時の日本にとっては大陸中国は憬れの国だったのだ。ただ中国を真似て銭を作ったはいいがほとんど使い道がなかった。そりゃそうだ。銭で物を売買するなんて概念がなかったからだ。だからこの銭を見てもみんな使い道のわからない不思議な珍品にしか見えなかった。で、珍品となるとこれを集めたくなるのが人情。コレクター心理である。そこで天武天皇は特に賭博(双六)に入れあげていたのでこの銭を賭けの対称にする事で集めようと思った。結果、日本初の銭はゲーセンのメダルのごとく賭けの対象となり、天皇以下宮中の役人たちがみんな双六の賭けの対象に使ったのだ。[E:smile] 後の持統天皇となる天武天皇の皇后(奥様)は夫のギャンブル狂に苦虫を噛み潰していたに違いない。今なら離婚の原因だな、これは。[E:shock]

 で、1300年たった今も銭はまだギャンブルの対象だ。それも今は「投機」と言う名のとてつもない巨額のギャンブルの。
 朝早くから夜遅くまで汗水流して働いて得た「お金」も株の買占めや土地や権利の転売で稼いだ「お金」も同じ「お金」である。まさに「お金に色は無い」のだ。しかし「お金」は稼げばいい、その稼ぎ方は問わないというのは間違った考えではないだろうか?
 「お金」をあえて固定的な事業用の資本(土地・建物・原材料)に換えて事業を起こすのが企業家だ。そこで必死に働いて金を稼ぐ。そしてその事業に自分の「お金」を長期投資してそこから得る利益を配当や株の値上がりという形で受け取るのが投資家だ。いずれも健全な資本主義には必要な存在である。そこには事業に「お金」をつぎ込むことで自分も利益を得つつ社会にも貢献する姿がある。
 一方、単に「お金」を増やすために金融資産や不動産などの売買を繰り返すのが投機家である。村上フアンドの村上がその分かりやすい代表だ。株主の利益を代弁するとカッコのいいことを言ってるがやってることは投機家そのものだ。あの自由経済主義の権化であるケインズですらデフレ回避や失業者の救済に貢献しない投機目的の「お金」は使用を制限したり規制すべきだと主張した。投資と投機は似て非なるものだ。大事なのはあくまで実体経済である。

 最近は企業家であるはずのホリエモンや三木谷まで投機家みたいなことをしておりそれをカッコいいと感じる若い者も多い。残念ながら一億総投機家しつつあるわが国だがこれは極めて危ういことだ。逆説的になるが自由な経済活動を保証し、「お金」の暴走を止め実体経済への悪影響を避けるためにも投機マネーへの規制強化、課税強化は喫緊必要となろう。

 若者よ[E:sign01] 実体の無い投機家などに決して憬れるな。