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 橋梁談合事件はまさに220の記事で指摘したように官の天下りが原因であり、経団連が今回の事件を機に官の天下り受け入れ拒否に動き出したようだ。まぁ、それはそれで歓迎すべきことだが今回の事件でどうにも腑に落ちないことがある。
 それは東京高検の動きだ。なぜ公団に捜査に入る前日に新聞・テレビで「明日、強制捜査」と報道されていたんだろう? 普通は捜査に入る日時など公表しないだろう。不意打ちをかけなきゃ証拠隠滅を図られてしまう。丸一日あれば隠滅するには十分だ。どう考えてもこれは高検が道路公団に早いこと証拠を隠滅しとけよと内々の指示をしたのと同じだ。官が官に甘いのはわかるがこれはちょっとひどいのではないか? 多分この捜査では公団にとって致命的な証拠は出てこず、下っ端の小役人が何人か捕まって終わり[E:sign01] という結論しか見えてこない。[E:angry]

ツバメ舞う蒼空映す水面かな

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Ncnehuwc  今年は病気で嫁さんの実家の農作業の手伝いが出来なかった。お義父さんごめんなさい。でも秋にはお米くださいね。(笑)
 今はどこの田んぼでも水を張り、本格的夏を前に稲がすくすくと育っている。ちょいと空梅雨で九州や四国では水田が涸れて困ったことになっているが。実は米は「一粒万倍」と言われるほど爆発的に増えるので小麦などの他の穀物に比べてかなり生産性が高い。古代の日本人が米を神聖視したのもそういう理由からだ。まさに神の恵みなである。

 田植え後の6月は「分けつ期」といい、茎の根元から新しい茎がどんどん分け出てくる時期である。田植え時には数本だった茎が6月下旬には十数本から20本ほどになる。その後8月に穂が出てくるまでの約20日間を「穂ばらみ期」という。茎の中で穂がどんどん大きくなる時期でこの時期に暑い夏の太陽をいっぱい浴びる必要がある。この「穂ばらみ期」に低温(最低気温19度以下)に見舞われると穂の中の花粉が壊れ「不稔籾」といって実のならない籾になってしまう。1993年の「平成の大凶作」がまさにそうであった。

 7月に入ったこれからの気温が問題なのだ。特に豪雨に見舞われている米どころの東北・北陸が心配だ。

 

京都魔界案内 10

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Kyjufc76  祇園祭は今日、7月1日から月末まで今月いっぱい続く。一般的には16日の宵山や17日の山鉾巡行が有名で祇園祭といえばそれ!のように思われているがもともと八坂神社の祭礼で延々一ヶ月に渡って続く祭りなのだ。
 7月1日の各山鉾町の吉符入り、二階囃子に始まり17日のクライマックス山鉾巡行を経て31日の夏越祭で終わるまでほとんど毎日あちこちでいろんな行事が繰り広げられるまさに世界に誇る祭りである。

 しかしながらこの祭りの裏にはとんでもない恐ろしいものが隠されているのだ。
 祗園祭りは貞観11年(869年)に都に流行した疫病封じのために行われた祗園御霊会を起源とする。もともとこの地では雷神=鬼=農耕神(昔の人々は雷を怨霊の発現として恐れていた。北野天満宮の菅原道真がその典型である。)を祭っていた土着信仰の天神があった。そこに祗園社(現八坂神社)が出来たのだ。祗園社は恐ろしい鬼神、牛頭天王(ごずてんのう)を祀っている。

 牛頭天王伝説:南海に赴く牛頭天王(牛の頭をした牛鬼)が途中で日暮れて、宿を巨端将来(こたんしょうらい)という長者に求めたが断られた。近所に住む貧乏人の蘇民将来(そみんしょうらい)は天王を家に泊めて精一杯のもてなしをする。そこで天王は巨端将来の一族を疫病で皆殺しにし、その一方で蘇民将来の子孫には幸せを与えると約束したという。

 すぐ切れる最近の15歳の子供もびっくりのとんでもない逆切れである。[E:shock] 今でも八坂神社では疫病よけに「蘇民将来子孫也」と書いた護符を売っている。この牛頭天王は古代神話のスサノオのこととも言われ、いわゆる秩序を乱す荒ぶる神であった。古代の人たちはそれを「祀る」という形をとって実際には強引に「封じ込めた」のである。

 この八坂神社をはじめ、京都にはたくさんの封じ込められた「怨霊=鬼」がいる。


ハックション!! オプション

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0luhrkeo  オプション取引といっても車を買う時に付けるアルミホイールやカーナビとかのオプションではない。世間一般に言われているような極めて難しい金融工学でもない。よくよくみれば「な〜んだ、そんなことか」と思うだろう。
 要は「権利の売買」である。有名な話が紀元前590年ごろに活躍した古代ギリシアの哲学者ターレスのオリーブ搾り機の話である。でもそんな話をしても面白くないだろうからもっと身近な話をしよう。

 10月1日、ついにプレステ3が発売!! 
定価 50,000円  予約特価 48,500円 (ただし内金 500円を支払っていただきます。)

[E:lovely]500円払って予約しておけば当日払うお金は48,000円だ。
[E:smile]でも、他の店で47,500円で売っていれば? 
[E:lovely]そしたら内金500円をあきらめて47,500円で買う。払った合計は捨てた内金500円と47,500円で48,000円。
[E:smile]予約しなければ最初から47,500円で買えたのに。
[E:lovely]でも発売当日に定価どおりの50,000円でしか買えなかったら?
[E:smile]予約した店で48,000円払って内金と合計で48,500円でGETだ。50,000円払わなくていい。
[E:lovely]当日の値段が高ければ高いほど予約したほうが得になるのか〜。(支払額は48,500円ぽっきりで済む)
[E:smile]逆に安ければ安いほど内金捨てても当日の値段で買えばその時の値段+500円で済むんだね。
[E:lovely]この500円がオプション料=権利を買うお金だね。

参考文献:デリバティブ教室(工学社)


平安京の実像 7

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 最近京都観光は絶好調だそうだ。書店に行っても京都特集の雑誌や本やらが溢れかえっている。雅な京都は日本人の憧れなのである。京都に住む人間の一人としてはやはり誇らしい。しかしながら「雅な」と書いたが普通の京都人にとっては京都は雅でもなんでもないただの生活の場でしかない。

 今だからこそ明かされる衝撃の事実! 実は「雅」とは京都が生き残るためにしかけた世界最大の詐欺なのである。明治維新で天皇が東京へ行ってしまった。お公家さんも明治維新に活躍した政治家たちもそれについて東京へ転勤してしまった。その時京都はかつて平城京だった奈良のように一気に地方都市のひとつに落ちてしまったのだ。そこに危機感を抱いた京都の知識人たちは近代化と同時に文化・歴史を強調したのだ。近代化は琵琶湖から疎水を引き、日本初の水力発電をし、これまた日本初の市電を走らせた。そして文化・学問では1100年の歴史を強調した。明治政府も日本が近代国家として西欧列強に伍していくために西欧に劣らない歴史と文化を持っていることを強調するため京都を副都としてさまざまな投資をしたり大掛かりな装置を作った。平安遷都の頃の大内裏を模して造営された平安神宮はその装置として最たるものだ。

 確かによーく考えたら今の京都の有名な神社仏閣などは創建こそ平安時代でも室町時代以降に建てかえられたものが多い。それさえ幾多に渡る戦火で焼け落ち江戸時代以降に再建されたものもある。更に京都の伝統工芸だってほとんどが江戸時代に確立され、産業として成り立つようになったのは明治時代以降である。1200年の歴史と言ってもそれは始まりであって近年のものが多いのが実態だ。千年の歴史は幻想なのだ。
 すなわち京都の生き残り策としてのキーワードが「雅」なのである。皆これにだまされ京都は「千年の歴史を持つ雅な文化都市」だと思い込んでいるのである。 どうだ? まさしく世界最大の詐欺ではないか? [E:smile] でもま、それにだまされてるのもけっして悪くはないと思うぞ。文化というものは何世代にも渡って紡がれていく。目の前に建っている神社仏閣がたとえ江戸時代に再建されたものでもそこにある精神は紛れも無く平安時代からのものなのだから。
 
 たかだか建国220年程度の歴史しか持たないアメリカ人なんかそんな歴史を持つ日本人が羨ましくてしょうがないのだ。

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世論(せろん)と世論(よろん)はどう違う?

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 そんなのどっちもおんなじじゃんと思っていたが実はまったく違うものだと最近知った。(不勉強である)
 今は世論と書いて「せろん」とも「よろん」とも読むが正しくはせろんは「世論」と書き、よろんは「輿論」と書く。「世論」と書いて「よろん」と読むようになったのは戦後の漢字制限のためであり、戦前では「よろん」は「輿論」と書き、「せろん」は「世論」と書いた。両者はまったく別のものだったのである。

 それは簡単に言えば「輿論」は公論(公平で正しい議論)であり、世論は私情なのだという。今の辞書によれば世論(せろん)は世間一般の意見(議論)となっている。したがって新聞なんかで発表される世論調査は「せろんちょうさ」と読むべきで「よろんちょうさ」と読んでははいけない。

 本来、公論においては議会なり、ジャーナリズムなりの役割が大きいはずだ。しかし現状は議会もジャーナリズムもはなはだ心もとなくとてもその責務を果たしているとは思えない。むしろ「私情」である「せろん」に振り回されたりおもねっていることのほうが多い。さらに牽強付会で自分の意見を正当化し、相手をとことんたたくことに喜びを見出している者もたくさんいる。

 その一方、目先の仕事や家庭団欒、レジャーやマネーゲームにうつつを抜かして公的問題を考えるのに時間も労力も割く気も無く、雰囲気に流される国民の「せろん」がどれだけ信用できるのか? 新聞・テレビで発表される世論調査は眉に唾付け聞いておくのがちょうど良い。
 
 私情はしばしば暴走する。従って国会答弁で小泉総理は「よろん」に従って政策を決めると間違うことがあると言っていたがそれは極めて正しい認識ではある。ただ一点だけ間違っておりそれは「よろん」ではなく「せろん」である。内閣総理大臣が国会での選良の議論=よろんを否定してはまずいじゃん。[E:smile]
 
 蛇足ながら「輿論」とは五箇条の御誓文(1868年)の「広く会議を興し万機公論に決すべし」というところから来たらしい。[E:memo]

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